うわっ!こっ、こんなに巨大なお醤油!!

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   近所のアジアショップで発見しました。これだけあれば10年はもつでしょうか?「醤油の力」、ヨーロッパに居りますと益々その調味料としての素晴らしさを実感いたします。
 
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   アジアショップ無しの外国生活というのは、まず考えられません。日本食無しで過ごしてこそドイツによりどっぷり浸かる意味がある、という考え方もあるかもしれませんが、かなり辛いものになるのではないでしょうか。いずれにせよ私の場合根っからの日本人でありますので、20年ヨーロッパに居るにもかかわらず、アジアショップに入ると思わずにんまり致します。ベルリンなのに、ここだけはアジアなのです。今日の収穫は、左上からもやし、エリンギ、豆腐、にら、台湾製の絶品(!)冷凍水餃子の皮、青梗菜(ちんげんさい)、そしてお米10キロ、〆て41ユーロ35セント(約4500円)でした。このお米にご注目ください。イタリア産で「日の出」という商品名ですが、「称賛日本米」と書き添えてあったり、江戸っ子に訳してもらったのかなまって「Shinode」になっていたり、結構笑えます。他にもアメリカから入って来ているお米や高級品種もある中で、この「日の出」は必ずどこでも入手できる中級品です。EU内では農薬や殺虫剤の基準が厳しいですから、このイタリア米ならまあ安全なのではないかと思い愛用しています。日本製品が本国の約2~3倍の値段で売られているのは仕方がありませんが、たまに日本ではお目にかかれないアジアのスグレモノ製品に出会うこともあり、愉しみの一つであります。
 

雁屋哲さんから寄せられたご質問

   今週は旧知の指揮者ミハイル・ユロウスキーの御指名でシュトゥットゥガルトに来ていますので、ホテルの部屋でアップです。この地では、数少ないドイツグルメの一つでもある名物マウルタッシェンをはずす訳には参りません。一週間、毎昼頂いています。初めての方はこちらをご覧ください。単数のマウルタッシェで説明されています。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%B7%E3%82%A7  残念なことにこの写真は美味しそうに撮れていませんで、全く魅力が伝わってきません。実物もあまりよろしくなかったのかもしれませんね。粉末ので構いませんからブイヨンをもっとお下品にドバッと入れたほうが、断然美味しいです。ラーメンやワンタンスープを彷彿とさせてくれ、日本の心を取り戻す一時となります。
   美味しい話が出たところで、私の産経新聞のコラム、今回は人気漫画「美味しんぼ」原作者の雁屋哲さんから寄せられたご質問で始まります。
 
 
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産経新聞のコラム連載開始

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   何と私如きが書いた「渡辺克也のベルリン音楽旅行」というコラムが、10月から産経新聞の大阪版毎月第3火曜日夕刊、東京版毎月最終日曜日朝刊に、掲載されています。市立南浦和中学校時代に、太宰治に読み耽り自分でも小説のようなものを書いてみまして、旧浦和市内中学生の文集「うらわ」に選ばれたことがあります。そんな文学趣味が今になって役に立つとは!人生って本当にサプライズがあるもんですねえ。

おばあちゃんの内閣総理大臣表彰

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 私の母方の祖母、羽島いくさんが100歳になりました。
 
 要介護とはいえ、100歳の長寿はとってもとってもおめでたい話ではありませんか!医学の進歩、人類の進歩。本人と周りの踏ん張り頑張り。介護施設の素晴らしいスタッフの方々にも、感謝感謝。
 
 この写真は、祖母の長男、つまり私の伯父が住んででいる神戸から六甲山を登った所にある、有馬温泉の施設で撮影されたものであります(シャレのつもり)。右の縞のTシャツを着ているのが、伯父の奥さんの羽島敦子さんです。ちなみに、小学三年生の時に戦後再建された渋谷忠犬ハチ公銅像の題字募集に応募し一等当選、そののびのびとした字が今の台座に刻まれた、才女です。その敦子さんの頭の向こうに、兵庫県知事さんからのお祝い状も見えます。
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 2年半前、祖母の食欲が極端になくなってしまい、心配になって訪れた時に撮影されたのがこの写真で、私がヨーグルトを食べるお手伝いをしています。この後、食欲が回復しますようにと念じながら、オーボエ無伴奏で「ふるさと」を聞いてもらいました。お世話して頂いている看護師さんが、「せっかくだから皆さんにも聞いて頂きましょう。」と施設内の全個室の戸を全開にして・・・。祖母はニコーッとして喜んでくれたです。その願いが届いて、というわけではないと思いますが、今はすっかり元気になりまして食事も全部ペロッと食べるそうです。もっともっと長生きしてくださいね。
 
 2つの世界大戦と関東大震災時代も体験して、ずっと世の中を見つめ生き抜いてきたのですね。戦争中は祖父が中国大陸の鉄道施設の整備のために不在だったこともあり、女手一つで6人の子供達を育てました。敦子さん曰く、「病院の中では優等生、全く手がかからない(食事に関しては食べさせて頂いてますが)ので有名です。つまり毅然としていらっしゃいます。明治女ここにあり、武家の妻を髣髴とさせる佇まい、東北地方の我慢強さなど、今の時代には失われたものばかり、6人の子供達を立派に育て上げた母親の強さが介護される側の潔さに表れています」。 
 
 山形県上山の出身で、1945年3月10日未明の東京大空襲の真っ赤に焼けた空を浦和の自宅から見た羽島一家が3月14日に疎開したのも、彼の地でした。私も孫として、祖母の生まれ故郷の山形の気風を、知らず知らずに教えられてきたのでしょう。ずんだもちや干し柿など、山形の味覚も小さい頃からよく浦和で頂きました。そのようなわけで、山形交響楽団にR. シュトラウスオーボエ協奏曲でお邪魔したときも、なんだかここに以前来たことがあるような、すごく懐かしい気分になったのです。どうにかして上山の吊るした房状態の干し柿を入手してベルリンに持ち帰りたいと地元の方に言いましたら、よくそんなものを知っているねと、喜ばれました。ただ、おばあちゃんが毅然としているのに、2世代下った孫の私は全然毅然としていません。困ったものです・・・。
 
 私のDNAの1/4は祖母から受け継いだものの筈ですから、長生きできるのでは?と期待しています。この歳までは毎日オーボエの練習ばかりで人生を楽しんでいませんので、長生きして後で取り返さなくてはいけない、とマジに考えているのです。

嵐を呼ぶコンサート

   今ソリスツユーロピアンズルクセンブルクが絶好調です。
 
   体制を一新して音楽関係者を唸らせた2010年/2011年のシーズンの締めくくりの7月10日に、毎年恒例のヴィルツ野外コンサートがありました。
 
   今回は、ソリストにモデルでもあるヴァイオリニスト、デイヴィッド・ギャレットを迎えてのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。3月の段階で1000余席の会場は完売御礼が出ました。お客さんの80%は、彼の熱狂的ファンの万遍ない年齢層の女性。ステージに登場しただけで黄色い声が上がります。ルクセンブルクの北に位置するちっぽけな町の会場には、遠路はるばる来たファンが2時間前から集結し、明らかにいつものクラッシックコンサートとは違います。対するオーケストラのみの演奏曲は、オッフェンバッハ作曲ローゼンタール編曲による「パリの喜び」。どうして我々の音楽監督クリストフ・ケーニッヒはこんな選曲をしたのでしょう?今日はギャレットのためのコンサートかな、と我々の誰もが思っていました。
 
   コンサート前半の、モデルでもあるスター・ギャレットの演奏に対して、嵐のような拍手とブラボー。ヨーロッパ中からコンサートマスターばかりを集めたルクセンブルクの弦楽器軍団が、なんとコメントしていたか・・・、まあ、そういう事はこの際いいではありませんか。彼の”売り”は他の部分にもありますので・・・。お客さんを狂喜させる力を持っているのですから、全く文句のつけようがありません。休憩中にオーケストラのプレジデントと立ち話をしていると、熟年の淑女が、「ギャレットを間近で見るために最前列を取ったのに、太っちょのコントラバス弾き(首席奏者で日本でも大変有名なギュットラー)のお尻しか見えなかったわ。よくもあんな席を私に売ったわね。お金返して頂戴。」と苦情を言いに来ました。後半客席に目をやると、確かに最前列でありながら端っこから2番目の席にお掛けです。彼にはこのような熱狂的ファンがついてるんですねえ。
 
   さて、後半です。「パリの喜び」は今日フランス以外ではあまり演奏されなくなってしまった・・・、そう言って過言ではないでしょう。フランス人以外は誰も演奏したことが無いことが練習でも明らかで、とてもやりにくかったです。私のすぐ後ろに座しているファゴットの巨匠、チェコフィルのヘルマンに、「チェコフィルに30年いたのに初めて?」とふざけて聞きましたら、「コラ若いの、40年だぞ!」という具合です。
 
   ところが演奏が始まってみると・・・、既に1曲目でお客さん大喜び。ルクセンブルクは歴史的にドイツに背を向けフランス寄りだからでしょうか?曲が進むにつれ、ケーニッヒの選曲の読みが見事に的中し、拍手が益々大きくなります。こうなると彼もコンサート本番の男、オーケストラもヨーロッパ中の名手の集まりですから本番の集中力が桁違いです。尻上がりに想定を遥か上回った演奏になりました。実は演奏しながらも結構恐ろしかったです。ズンズン迫り、ガシガシ進み、音楽の奔流に流されそうになりながら必死でした。ジェットコースターに乗っている様でもありました。これは凄い。クライマックスの「天国と地獄」では、そういう曲ではないのに演奏しながら不覚にも涙が出てきます。生きてて良かった、音楽やってて良かった、そういう時間。ほとんど万雷の嵐状態の拍手。演奏が素晴らしくて演奏者とお客さんが完全に一体となったコンサートでした。フルトヴェングラー体験者は彼のコンサートについてこのような表現で語ることが多かったですが、こういうことだったのかもしれません。とにかくギャレットのためのコンサートになっていたかもしれないどころか、完全に我々がギャレットファンのハートを摑んでいました。
 
   そしてあまりのド迫力と拍手喝采の興奮状態の後、ギャレットが再び登場してアンコールを演奏する際・・・彼はふざけてもう楽器をケースに仕舞い込み肩から掛けて、あたかももう帰ろうとしていたかのような格好で登場しましたが、ステージでまず楽器を出す間、会場が一旦静かになった時に、皆初めて気が付きました。滝のような大雨と激しい雷鳴の本物の嵐・・・涙雨でしょうか?ヴィルツは小さな町ですが、第2次大戦中占領していたナチに対する大規模なゼネストが起き、多くの人が銃殺された、ルクセンブルク人にとっては特別な思いの町です。命をかけて蜂起したルクセンブルク人が天国で喜んでくれたのかも。幸いステージ、客席とも屋根がついていますので、雨に濡れることなくアンコールが3曲演奏されました。
 
   とにかくこの男、クリストフ・ケーニッヒは嵐を呼ぶ指揮者。「パリの喜び」を極上の芸術にしてしまうなんて。
 
   そして私渡辺克也も、嵐を呼ぶオーボエ奏者であります。あまりのド迫力でコンサート中に嵐になることが多く、昨年6月ののカザルスホールリサイタルでは、ホールの中まで聞こえるほどの激しい嵐。御茶ノ水駅までの坂道が濁流と化し、お客様が帰るに帰れなかったとか。このたび新しくCD「サマーソング」をリリースしました記念のコンサートが、7月23日19時東京文化会館小ホール、8月31日19時川口リリア音楽ホールでございます。感動お約束します。CDのほうもドイツで製作され、日本国内盤も含め世界中のお店で入手可能です。嵐を呼ぶコンサートとCD,皆様どうぞご期待ください。
 
 P.S.  7月15日朝日新聞、読売新聞両夕刊でこのCDが推薦されました。

うわっ!こっ、こんなに巨大なヌテラ!!

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 メトロでこんなに巨大なヌテラを見つけました。
 
 ヌテラをご存じない方は是非こちらをご覧ください。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8C%E3%83%86%E3%83%A9 ヨーロッパではパンに塗るチョコレート系スプレッドの代名詞的存在で、大人にも子供にも圧倒的人気があります。ヨーロッパに住む日本人も、必ずハマります。日本にお土産で持っていくと「ドイツはさすがにパンの国、こんな素晴らしいパンの友があるんですね。」と喜ばれます。「ヌテラを塗ってらぁ」という有名な駄ジャレもございます(私が考えたのですが)。ディスカウントスーパーなどでは独自のヌテラPB商品を開発していますが、私が片っ端から食べ比べた範囲ではどれも本家ヌテラには遠くおよびません。
 
 こともあろうか「一口すくってペロッと食べるのが好きです。」と教えてくれた知り合いがいまして、実践してみました。ダイナマイト!超弩級の至福!!
 
 一般に売られているヌテラは、丁度手のひらに乗る瓶入り400グラムで1ユーロ70セントくらいでしょうか。しかしこの写真のは、後ろの看板に見えるEimer(アイマー)というのがドイツ語で"バケツ"という意味ですから、なんと「バケツ入り5キロで27ユーロ99セント」!これで26650カロリーあります。成人の日本人が一日に必要なカロリーを1800カロリーとすれば、これだけすくってペロッと食べていれば半月もつ計算になるではありませんか。
 
 この撮影場所は、メトロという業者専用でものすごく広い売り場を誇るメガスーパーのベルリン店です。日本にもありますね。https://www.metro-cc.jp/servlet/PB/menu/-1_l29/index.html ドイツのメトロでは「業者のみ」が「自営業者も」と拡大解釈され、演奏家も給与所得以外にソロや室内楽等の事業所得があれば自営業者として登録カードを作ってもらえ、買い物ができるようになりました。5リットル缶入りのオリーブオイル、ディ・チェッコのパスタ3キロパック、冷凍グリーンピース3キロパック等はよく購入しますが、バケツ入り10キロのマヨネーズやケチャップに至ってはとても一般家庭では使いきれません。肉5キロ入りパックは小分けにしてラップに包んだ上で、自宅の冷凍専用庫に保存します。食料品だけではなくて、衣料品、電化製品まですべて揃います。
 
 自宅からこのお店までは、愛用の18段ギア自転車で行きは風を切って15分、帰りはやたら荷物が重くてえっちらおっちら走ります。
 
 ヌテラに話を戻しますが、いくら業務用かもしれなくても、このバケツ入りの5キロを一体どうやって消費するのでしょうか?バターを塗りハムやチーズを挟んだパンはパン屋やスタンドでよく売られていますが、ヌテラを塗りたくったパンというのが売られているのを見たことがありません。別の日にやはりここでこの巨大ヌテラを目撃して仰天した、素晴らしい私の共演ピアニスト小田井郁子さん(ちなみにやはりヌテラファン)曰く、「最初は良いけど最後の頃ナイフを使って中身を取るのが大変かも。」そう考えるとこの巨大ヌテラは冗談半分のウケ狙いでしょうか。今回は購入見送りましたが、自宅に飾っておけばそのインパクトは相当なものです。賞味期限は常温で1年以上先ですし、万が一過ぎてしまってもそう簡単に腐ったりする物ではありませんので、まあ何とかなるでしょう。
 
 私の独断で、同じパンに塗るチョコレート系スプレッドで唯一ヌテラに肩を並べうるのは、スニッカーズ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%BA のスプレッド版だけです。ピーナッツクランチ入りピーナッツクリームとチョコレートクリームとカラメルの3者が織り成す妙味。以前愛用していたのですが最近お店でまったく見つかりませんで、困惑しております。ご存知の方、是非情報をお寄せください。
 
 追伸
 
 このブログのアップ前に、念のためメーカーの日本法人に掲載許可を頂くべく下書きをお送りしましたところ、大変好意的なお返事をいただきました。私もヌテラファンとして応援したいと思います。ヌテラのレシピ(日本)のサイト面白い!
 
 「渡辺様 
 
 お世話になります。この度はお問い合わせいただきありがとうございました。
 
 もちろん、5kgの商品は、『ウケ狙い』ではございません(笑)。業務用としては、クレープやピザ(ヌテラピザ)、ベーグルやドーナッツのトッピングなどパンに塗る以外にも使用されているようです。
 
 今回、ヌテラをブログの題材にしていただいておりますので、関連のあるサイトをご紹介させていただきます。
ヌテラのレシピ(日本):  http://nutella300.com/  
 
 海外、特にヨーロッパでは高いシェアを取っている商品ですが、日本ではまだまだ認知の低い商材です。今回のようにブログで取り上げていただくことで、徐々に認知も上がっていけばと思います。今後とも、よろしくお願いします。
 
 日本フェレロ

阿鼻叫喚!

 殆ど賞味期限切れのような話ですが、アイスランドの火山灰騒動にちなんだ前回のブログ「飛行機雲のないひたすら真っ青な空 」の続きです。今回は長いです。
 
 日本へ出発の前日4月19日、ルクセンブルクのホテルのブランケットホール(いつも鍵が開いているので、使われていないときに勝手に忍び込んで練習をしている)で夜中まで超絶技巧の猛練習をした後、0時に明日フランクフルトから飛ぶ予定の某航空会社のホームページでフライトを確認しました。22時に確認したときはまだ飛ぶことになっていたのですが、やっぱり来たか・・・キャンセルになっています。フランクフルトからは、ルフトハンザとエアベルリンのみが「特別許可」によりごく限られたフライトのみ飛ばし始めることを許されていました(他の航空会社はすべてストップ)。明朝5時15分の列車の早割りのチケットは取ってあるし、日本でソロの仕事が待っていて何が何でも飛ばなくてはなりませんので、予定通り明朝に出発する以外に選択肢はありません。
 
 藁にもすがる思いで、航空関係者の友人全員と所属事務所の担当者に「このような状況でどうしたら良いでしょうかメール」を送りました。満席で他にも乗りたくて困っている人が沢山いる中で、どうしたら優先的にルフトハンザの席をもらうことが出きるでしょうか。
 
 いの一番に全日空シュチュワーデスの大沢さんから「フランクフルトに向けてとんだジャンボが成田に引き返した経緯がありますので、万が一日本の2つの航空会社に離陸許可が下りても、2社ともフランクフルトに飛行機自体がありません。お力になれず本当に申し訳ありません。ごめんなさい!」というお返事。
 
 アドレスが変わったのでしょうか、ルフトハンザ大阪支店にお勤めの植松さん宛のEメールが戻ってきてしまいました。
 
 担当者から「今回のような災害の時は、たとえ最終的にコンサートがキャンセルになってしまったとしても、演奏家のせいには全くなりませんので、その点はご心配されなくて大丈夫です。という返事が返ってきました。嬉しいけどそうは言っても何がなんでも絶対に帰るぞー。お客さんは待ってるし、どんな思いで今日まで辛い練習に耐えてきたか・・・。返事にそう書き、ルフトハンザ大阪支店の植松さんに何とか電話連絡して裏ワザを含めて相談にのっていただいてください、とお願いしました。
 
 後援会の小林さんからも「世界中周知の事件ですので許されます。ストレスになり体調を損なったりして良い演奏が出来ない事の方が問題です。」というEメールを頂きました。
 
 あちこちに一斉に送信した「ルフトハンザの社長さん個人的に懇意にされているでしょうか?」という私のおバカなEメールに、「いいえ、残念ながら。」のお返事が続々と。
 
 2時間の睡眠後、まだ真っ暗で不気味なまでの5時の静けさの中、いざ阿鼻叫喚のフランクフルト空港へ出発です。こんなときに限って意外にも列車の遅れもなく、8時55分にフランクフルト空港に到着しました。
 
 火山灰騒ぎも5日目でしたし、空港のホームページで「空港まで来てしまえば何とかなるだろう的発想はお控えください」と呼びかけていたこともあって、空港ロビーの人口密度はせいぜい普段の約3倍くらいで、超満員でも阿鼻叫喚でもありませんでした。ただ、どの航空会社のカウンターでもお姉さんがテレビニュースで得られる程度の情報をエンドレステープのように何度も繰り返すのみで、もっと踏み込んだ情報を得られずに諦めたお客は、疲れきって座り込んで本を読んだりして長期戦を決め込んでいました。中にはカウンターを閉めてしまったり電話にもホームページにもアクセスできないようにしてしまうふとどきな航空会社もあり、怒っている人もちらほら。
 
 その中で唯一、大盛況で何百メートルにも達する列を成しているカウンターがありました。ルフトハンザです。
 
 予約を入れていた某航空会社のカウンターで同じスターアライアンス内のルフトハンザに振り替えろと咆え、私個人で付き合いのある旅行代理店に何か手がないか電話で確認し、担当者に、「だめかもしれません。つきましては日本に着いてすぐの練習予定をキャンセルしてください。」と連絡しました。ああ今日はフランクフルト空港で雑魚寝か・・・。練習は駐車場かどこかでするとして。雑魚寝の場所も確認し、最後の頼みの綱、ルフトハンザで拝み倒すのみです。ルフトハンザも全便のうち約1割ほどしか飛んでいませんでしたが、日本行きはありがたいことにキャンセルされていません(ただし満席)。もし今日の便がだめだと担当者が泣くけど、明日出発の便でも練習2日目から出られますか。
 
 ルフトハンザのチケットカウンターの長蛇の列に絶望しながら並ぶのは辛かったです。インターネットとEメールを開き情報を得たいと思いきや、さっきから何度も見ているのでバッテリーの残量がかなりピンチになって来ました。コンセントはどこにあるだろう。きちんと並ぶことが不得意なお国柄の人も結構いたりして・・・。1時間半は並んだでしょうか、まもなく私の順番が来る頃に、担当者から私の携帯に電話がかかります。「植松さんに連絡がつきました。残念ながら難しいです。」がっかり。もうだめか。「とにかくフランクフルト空港のルフトハンザのチケットカウンターに行き、その時点で入手可能な航空券を尋ねることをお勧めします。ご希望のフライトが混んでいても、欧州内のフライトもキャンセルが多いので、成田行きに乗り継ぎ予定のお客様が実際に何名搭乗されるかは直前まで流動的だと思います。ことによると搭乗手続きが締め切られる頃、または搭乗時刻直前に空席が出るかも知れません。今回は状況が状況だけに確約は出来ませんがトライしてみて頂けませんか。私が渡辺さんの立場でしたら今は迷わずそうします!とのことです。」そういえば、学生時代に満席で夜行バスのチケットを入手できなかった時、出発直前に運転手から直前にキャンセルされた席をゲットしたこともありましたっけ。でもその時間に私の順番が回ってくるの可能性は針穴に糸を通すようなこと。そもそも出発時刻って13時何分だったっけ?結構脳神経が疲れてきて判断能力が鈍りかけています。
 
 そして私の順番。まずCDを出して見せます。「私がソリストで出演するコンサートのために、何が何でも日本に飛ばないと困るんです。どうか今日か明日の便の席をください。」「シュヴィーリッヒ(難しい)」とか言われながらコンピュータでカタカタ探してもらっている時間の長いこと・・・。「最後の一席ありますよ。」予想外の答えにまずわが耳を疑います。思わず「何て言いましたか?」なんて聞き返しました。「正規料金で片道2500ユーロです。但し今12時55分で13時35分出発の便ですから、乗るのでしたら今すぐご判断ください。」コラッ詐欺か!と一瞬とさかに血が上りましたが、相手は紛れもないルフトハンザです。えー、正規料金ってそんなにするんだー。阿鼻叫喚!しかし背に腹は変えられぬ。泣く泣く払いました。
 
 でも・・・、帰れることになって本当に良かった。超嬉しかったです。チェックインカウンターまで走り、予定していた某航空会社の規定の30キロの荷物を、ルフトハンザは本当は20キロのはずなのに見逃してくれました。というよりそんな時間がなかったのです。チェックインカウンター滞在時間約30秒。走る走る、フランクフルト空港は成田空港よりももっと大きいのです。途中で、植松さんと担当者に、急いで報告とお礼の電話だけはしました。
 
 成田空港に降りたとたんに、共同通信社のインタビューを受けました。フランクフルト空港の様子と、そして私の仕事への影響についてお答えしました。後日新聞社の友人から、「共同通信社から成田空港での貴兄のインタビュー記事が配信されてきました。」と知らされました。でも実際には,どこの新聞社も白抜きで「渡辺克也あわや日本公演キャンセル!」という記事にはしてくれなかった模様です。
 
 いつもにも増して一音一音魂がこもった日本公演になりました。
 
 ヨーロッパから出られなくてコンサートを本当にキャンセルせざるを得なかった同業の日本人オーボエ奏者の話を聞くに及び、今回は本当に植松さんに救われたとの思いでいっぱいです。持つべきものは友人。友人をもっと大切にしようと心に誓った出来事でした。